30代後半で転職を5回経験した私の略歴と、今後の展望を語る

こんにちは、運営者のaonyanと申します。

今回は、私の簡単な経歴についてお話しようと思います。

2021年現在で40歳の私ですが、30代後半までに転職を5回経験しました。

日本では転職回数が少ないほど印象が良いとされていますが、果たして私はどんな状況に置かれているのでしょうか?

個人的な事ではありますが、興味のある方は最後まで読んでみて下さいね。

大学の専攻はプログラミング

私は一応理系(といっても少々数学が好きだっただけ)で、情報系の学科に入学しました。

そこで専攻したのが「C言語プログラミング」です。

『今の時代、IT系なら就職しやすいんじゃない?』という軽いノリで入った学科だったのですが、実際のところ就職は全然簡単じゃなかったんです。

初めての就職は技術系派遣会社

周りの皆が教授の推薦を受けて続々と就職が決まる中、私はノンビリしすぎて遅れを取ってしまいました。

「独立系IT企業」の就職を狙ってましたが、今思うとそんな技術力は無かったんですよね。

青森から東京に行くのは大変なので、都内に住む人のように何十社も受けることができません。

結局担当の教授に紹介をお願いしましたが、時が遅かったようで、残っていたのは「技術系派遣会社(特定派遣)」だけ。

(※2018秋で特定派遣が廃止されるようですね。私がいた会社はどうなっているのか分かりませんが、機会があれば調べてみようと思います。)

その会社に無事内定し、言い渡された勤務先は長野県でした。

長野県では、2004年から2010年まで6年弱を過ごしました。

1回目の転職で長野県から青森県へ帰省

長野県は気候が青森県とほどほど似ているので、住むことに対する苦労は全く無かったですね。

ただ、私は地元愛が強いので、年々『地元に帰りたい』という気持ちが強くなっていったんです。

仕事は難しかったものの充実していたし、会社に対する不満も特にありませんでしたが、ただただ『帰りたい』という気持ちだけで大手の会社を辞めてしまいました。

地元の青森県に帰ったのは2010年の3月です。

同じ年の11月までは暫く県内を旅しながら休息をして楽しみました。

1度目の転職先は、青森県が税金で企画した期間限定の雇用事業でした。

期間限定なので、転職してから1年半で強制的に退職することになったのです。

2回目の転職で根菜農家へ

2012年4月、2度目の転職先は根菜農家で、募集していたのは「事務職」でした。

1日のうち午前中は農作業、午後は事務の仕事という流れで、始めのうちは理想的な職場だと感じていました。

しかし、世の中そんなに上手くいくもんじゃありません。

就職する時に何となく嫌な予感がしていた通り、だんだん農作業の割合が増えていったのです。

根菜農家は常に重い野菜を扱うため、非常に体力と手の力を使います。

私は関節リウマチの持病があったので、重い野菜を持ち続けているうちに手の指や手首の関節の症状が悪化してしまいました。

これ以上続けるのは無理だと判断し、次の職場が決まらないまま退職することになりました。

農家への就職に興味のある方は「未経験者が農家や農業法人に就職できる?6つの疑問をQ&Aで解説」を参考にしてみてください。

3回目の転職でブラック福祉施設へ

3ヶ月くらい自宅でゆっくり休みながら、次の職場を探しましたが、青森県で転職するのはなかなか大変です。

私が住む田舎町では企業が殆どないので青森市内で探しましたが、「距離が遠い」という理由で最初から落とされるパターンが多いんです。

車で30分以内の職場を探していたところ、目に止まった求人が「デイサービスの事務職」でした。

2014年の8月頃に就職した3度目の職場、そこがとんでもないブラック施設で、どうにも我慢できず、わずか3ヶ月で退職しました。

『次こそはまともな会社に就職するんだ!!』と心に決めたのです。

4回目の転職で大手企業子会社へ

デイサービスでの仕事を続けつつ次の仕事も探していたところ、実家の近くに比較的まともな会社があることを知りました。

2014年11月、4度目の転職になります。

その会社は東証一部上場企業の「孫会社」なんですが、あまり給料が高いとは言えません。

しかし、地元企業に比べれば基本給はマシな方で、サービス残業も無く、年間休日も青森県内では比較的多いので待遇面では満足しています。

不満があると言えば、仕事の内容が単純で「飽きる」ということ。

この辺は自分の能力に問題があるので、努力して解決するしかなさそうです。

5回目の転職で再びエンジニアになり仙台へ

2019年の秋、ついに5回目の転職をしました。

理由は、とにかく残業が多すぎるということ。80時間は当たり前でした。

残業が減るなら給料が減っても構わないという事で転職エージェントを使って次の仕事を探したのですが、何しろ年齢も高めで特殊な技術もなく、極めつけは青森県という条件の悪さ。

残業が無い会社で正社員採用というのは、それだけでもハードルが高い事を実感しました。

残業が減りつつ給与も現状維持という条件で、妥協したのは「勤務地」でした。

青森県での転職を諦め、東北最大都市である仙台で仕事をすることにしたのです。

結果的に、仙台はとても住みやすい都市なのでその点は良かったですが、正直仕事はあまり満足していません。

この日本で残業ゼロで働くというのは、よほどのホワイト企業でもない限り無理なようです。

今後の展望

転職を5回経験して感じたのは、「選ばなければ職場は何でもある」ということ。

でも、選ばなければ結局あとで苦労することも分かり・・・その辺の話はまた別の記事に書けたらいいなと思っています。

今後はどうしようかという事ですが、事業所得を伸ばして脱会社員を目指しています。

今(2021年)流行の言葉で言えば「サイドFIRE(セミリタイア)」ですね。

現時点で40歳のため、「アーリーリタイア」はちょっと無理がありますが、70歳定年と言われる時代においては60歳ですら「アーリー」と言われそうなので頑張ろうと思います。

最後までお読みいただき、有難うございました^^

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